「群像」に長嶋有さんの評が!2006年02月09日 02:22

発売中の文芸誌「群像」に、 作家、長嶋有さんによる『日本文学ふいんき語り』評が掲載されてます。
す、すばらしいです! 読んで、読んで読んで〜〜!!
ゲームという様式の自由度というか醍醐味というか本質というか魔というかを
冷静にかつ共感をもって評論されてます。

でね、わたしなんかが聞かれると、宣伝モードで
「有名ゲーム作家がなぜか名作をゲーム化!」
とかとおりいっぺんな説明をしちゃいがちなんだけど
なぜ「わざわざこの三人」だったのか、というところに鋭く言及。
引用します。

 米光一成は『ちるどれんうぉーず』で、定番ゲーム『信長の野望』を小学生の派閥争いに置き換えてみせた。飯田和敏は海底を冒険ではなく「散歩する」『アクアノートの休日』を発表。麻野一哉の『かまいたちの夜』はゲームなのにあえて受動的にストーリーを読ませ、無限のパラレルストーリーを提供してみせた。いずれも、ゲームという物を、ゲーム自体を使って批評するようなゲームだったといえる。

そうか! 
まあ長いつきあいだし、本も二冊編集してるんで、
実感としては「この三人しかないなー」と思ってるわけなんですが、
その感覚を言語化できてるかっちゅうとできてなくて、
「いや、このひとたちはゲーム業界でも変わりものでー」
とか適当な答えでその場をしのいできてたんですが、
今回の長嶋さんの評によって蒙を啓かれましたよ。
そうか、あなたがたは“ゲーム自体を使って批評するような”ゲームをつくってしまう、
メタ資質なゲーム作家だったのね!
だからこんな企画が成立してるのか。

論旨はさらにこう続きます。

 ゲーム化は、それ自体がパロディ(=批評)行為でもあった。すでに完成していたゲーム文化を批評する作品で登場してきたこの三名だからこそ、文学をモチーフにしても同様に鋭敏なセンスを発揮できるのだろう。

うわー、激しく納得&感動。
麻野さん、飯田さん、米光さん、あなたたちと仕事できてよかったよ!
(いまごろ……)
長嶋有さん、ありがとう!
「群像」にも幸あれ!

写真は、このエントリでご紹介した『日本文学ふいんき語り』のファンペーパーです。えれえ美化されたゲーム作家さんたちですよ!
このブログの画像をクリックするとでっかいのが見れます)

そして、本日はアノ大物作家さんのお誘いをうけ、
アノ本で「ゲーム化」対決(?)
正直ビビってまーす。この件についてはまたご報告しますね。