みんな教科書が悪いんだ!2005年11月09日 22:25

日本の名作っていうと、教科書でしか読んでないよーっ
ていうひとがほとんどじゃないでしょうか?
んでもって、あんなもんはもうコリゴリ! 
文豪ってなんか偉いひとたちらしいよ、
小さいときからなんか凡人とはちがってて、
見習わなきゃいけないような人で、
そんなひとが書いたもんは、当然「すばらしい」のだ、
「鑑賞しろ」と教えられてきたひと多いんじゃないでしょうか。

漱石がとうとう教科書から消えたとか嘆くひととかいるけど、
カンケーねえ。
あんなものに、なにが載ってようがかまわねえ。
なんも変わらない。

わたしもそう思ってました。
しかし今回、
「こころ」(夏目漱石)「羅生門」(芥川龍之介)
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)「山椒魚」(井伏鱒二)
「人間失格」(太宰治)「金閣寺」(三島由紀夫)

などを、やっぱり教科書以来近代文学にぜんぜん触れてなかったゲーム作家三人と読んできたら、
ほんとに新鮮だったんです。

なんだ、名作ってふつーに楽しめるじゃん!

その時代その時代の先頭をはしってきた作品って、
時代や固定観念や日常ににたいして、鋭利で切実な入射角があって、
すげえアヴァンギャルド!
いまの刺激的なライトノベルとか、
時代の気持ちにぴったりあってて衝撃だったセカイ系とか
そんな感じで読めるし、その時代には、きっとそう読まれてたに違いない。
名作って、すげえ不完全! でもそこが楽しい、面白いよ!
ひょっとして、 国語教育って、思想的バイアスみたいなもんがかかってた?
気持ち悪い……
じゃあ、教科書で習ってきたことは、みんな捨ててしまおう。

わたしたち、洗脳されてました……

『日本文学ふいんき語り』の「あとがきにかえて」の米光一成 の文章から引用。

 いやはや。ぼくは、近代文学なんて、ほんとに全然読んでなかった。本は好きだけど、今の本のほうがおもしろいと思い込んでいた。
 漱石や三島や井伏なんて、古くさくて、権威で、説教で、道徳で、一部の既得権益でまわってるだけだと思っていた。
 責任転嫁しちゃうけど、「国語」のせいだ。
 今回、いくつかの近代文学を読んだのだけど、おもしろかった。
 「国語」って、読解に見せかけた説教だったことがはっきり解った。「こころ」の一部を取り出して説教の道具に使ってるのだ。そんな一面的なものじゃないのに。読むことは自由なのに。怒ろう。過去のぼくのために。今、「国語」のせいで近代文学が嫌いになってしまっているこどものために。

『日本文学ふいんき語り』は、
国語がきらいだった人にぜひ読んでほしいです。